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東京高等裁判所 昭和43年(行ス)10号 決定

抗告人

文部大臣

灘尾弘吉

右指定代理人

小林定人

外九名

右代理人弁護士

長野潔

外四名

相手方

家永三郎

右代理人弁護士

森川金寿

外十八名

主文

原決定を取消す。

相手方の本件本書提出命令申立を却下する。

手続費用は相手方の負担とする。

理由

抗告人及び相手方の各主張は本決定添付の抗告状並びに相手方の昭和四十三年十一月一日付準備書面記載のとおりであるが、抗告理由の要旨は相手方は抗告人を相手取り、「抗告人が教科用の日本史の改訂につき相手方の原稿審査において昭和四十二年三月二十九日付でした検定不合格処分取消」の行政訴訟を提起し(東京地方裁判所昭和四十二年(行)第八五号事件)その訴訟進行中、立証のため必要があるとして、抗告人の所持する別紙目録(一)ないし(四)の文書(以下単に本件文書と指称する。)を民事訴訟法第三百十二条第三号後段の「挙証者と文書の所持者との間の法律関係につき作成された」ものに該当するとの理由の下に提出命令を申立てたところ、原審は右申立を許容し、しかも本件文書の提出は同法第二百七十二条の法意に反する場合にも当らないとして抗告人に対し本件文書の提出を命ずる旨の決定を与えた。しかしながら本件文書は前示第三百十二条第三号後段に該当するものではないし、又第二百七十二条の法意に鑑み、抗告人において提出の義務のないものであるから原決定は違法のものであるというのである。

よつて按ずるに、本件文書が前示第三百十二条第三号後段の文書に該当するか否を判断するについて、右後段の文書を「挙証者と文書の所持者との間の法律関係に関する事項につき作成された」ものも含むと解する考え方を採つたところで、具体的文書が、同法条に該当するか否の基準としては必ずしも明確とは云えず、文言自体のみに依拠するならば、具体的の場合に、文書が同法条に該当するか否はいわゆる水掛論に終始するにすぎないであろう。文書が「挙証者と文書の所持人との間の法律関係につき作成された」ものに該当するや否を判断するには、その法文の形式上の表現のみならず(イ)民事訴訟法における証拠方法としての文書の概念、(ロ)同法における証拠方法制限の基本的考方、及び(ハ)本件文書の性質を綜合して判定する外はない。

(イ) 一般的に概括して云えば、民事訴訟における証拠方法としての文書は、その記載内容(これが証拠、すなわち証拠の実質である)よりして係争事件の法律要件を構成する事実の存否を直接又は間接に証明するに足ると思料される資料である。従つて間接に係争事実の存否を推認させる事実の存在を証明できる文書も証拠方法となるけれども、ある事実についての法律的価値判断が、争点となつている訴訟においては、当該価値判断の対象たる事実についての訴訟当事者又は第三者の価値判断(評定又は意見の如きもの)を記載した文書の如きものが、当該訴訟の文書たる証拠方法となるものではない。この判断は裁判所が裁判において自ら判断すべき事項である。

もつとも民事訴訟法の証拠に関する部分において鑑定が挙げられており、特殊の事項についての判断を求める場合もあるが鑑定は同法挙示の他の証拠とは全く性質を異にし、特殊の智識について裁判官の能力を補う作用のものであるから、証人、文書等の証拠方法とは異なるものがあることは云うまでもあるまい。しかしながら、事実についての法律上の価値判断については鑑定にもよるべきものではない。従来裁判所がこの種の判断に鑑定人尋問を採用している例があるが、理論上違法と云えないまでも極めて妥当を欠くものと云えよう。

(ロ) 民事関係の訴訟は相対立する当事者間の係争事件について法律上の立場よりの判断による解決をなし、これにより当事者の権利ないし利益(法律的)を保護することを直接の目的とするものであり、保護の対象は直接には私人的利益(行政訴訟についても、本件抗告訴訟には当てはまる。)にすぎない。しかも訴訟の理想よりすれば係争事件解決に役立つ証拠たる資料ができるだけ豊富に訟廷に顕出されることが望ましいものではあるが、上述の如く訴訟による保護の対象が私人的利益にすぎないものであることからして、その訴訟に直接には関係のない第三者の利益や公共の利益のみならず、当事者自身の利益すらも、証拠たる資料の公開(単に法廷が公開されているばかりでなく民事訴訟法第百五十一条により何人も訴訟記録の閲覧ができることを注意すべきである)されることにより、不必要に侵害されることを防止する必要があることは原審もすでに明にしているところであり、同法第二百七十二条ないし第二百七十四条、第二百八十条第二百八十一条の法意より容易に看取し得べく、第三百十二条第三号後段の解釈についても原審の指摘するように、この点を留意することを要するのである。

(ハ) ところで本件文書の性質についてしらべてみると、本件文書は抗告人が教科用図書検定申請に対応して、行政庁として検定の目的たる図書につき行政上の法的判断として適、不適を定めて、これを申請人に通知する行政処分をなすに際し、その判断の適正を期するため、抗告人の補助機関と目せられる調査官に調査せしめた結果、調査官の作成した調査意見書並びに原稿評定書、及び抗告人の諮問機関である教科用図書検定調査審議会の審議録(もつとも、これは右審議会の分科会の審議録である)並びに答申書であり、その手続が法令により定められ、右各文書の作成が義務的のものであるにしても、結局は、何れも抗告人の検査申請に対する裁断の内部的資料にとどまり、行政庁の外部に対する行政処分としては抗告人の裁断のみであつて、右の内部的資料又は審議の公開は法令において義務付けてはいないのである。公開されないことが、調査ないし審議の公正を害するとの考方もあろうが、これらの文書は公益のために行政庁が作成保存する記録であり、公開されなくとも、上級行政庁の監督調査は勿論究極的には国会の調査監督に服すべきものであり、公正を保持できないものとは云えず、しかも本件検定申請についての行政庁内部の調査、意見ないし審議答申書の如きは公開により抗告人の云うが如き公正を害する事情を惹起するとは云い切れないにしても、ある程度の公益上有害な弊害を生じないとは断じ難いのみならず、右内部調査、意見ないし答申書の如きはこれを行政庁外に公表する必要もないものであり、抗告人のなした検定申請に対する行政処分の違法なりや否の判断は、右各文書の記載内容たる、意見(評定も、答申書も図書が教育行政の見地よりして教科用として適、不適の意見にすぎない)が如何にもあれ、これとは別箇に判断されることができるし、又判断さるべきものであることは疑がない。

以上(ハ)の本件文書の性質を(イ)(ロ)の各点より検討すれば本件文書は民事訴訟法第三百十二条第三号後段において予期されている文書には該当しないものと解するを相当とする。

訴訟においては当事者は自己の主張を有利に展開せんとする余り、他人の利益又は公共の利益を顧慮する余裕のない場合もあり得るのであるし、裁判所もまた適正なる判断を追及しようとする熱意のあまり、訟廷に顕出される証拠の豊富ならむことを望み、民事訴訟法が(ロ)に説示した法意による証拠に関する制限を越える虞れなしとしない。慎重に戒心しなければならないことである。

兎もあれ本件文書が前示法条に該当するとの原決定は、上叙当裁判所の判断と趣きを異にし、不当のものであるから民事訴訟法第四百十四条第三八十六条により、これを取消し、本件文書提出命令の申立はその理由のないものとしてこれを却下し、手続費用の負担につき同法第八十九条を適用して主文のとおり裁判する(毛利野富治郎 石田哲一 加藤隆司)

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